後期の授業に向けて

 頚椎椎間板症などという難病?にかかって、日記を書く余裕がなかったのですが、8月の暑さ到来と共に、嘘のように腕の痛みがなくなって、8月は試写通いをしてました。お気に入りの作品を書いておきます。まず、ベルリン・フィル創立125周年記念上映というフルト・ヴェングラーが率いたベルリン・フィルナチスの関係を描いた「帝国オーケストラ」。ナチスものは、それこそさまざまなものを見ているのですが、これはまさに声もなく見入ったドキュメンタリーの秀作でした。この時代を生きた音楽家の魂の叫びのようなものが、人間性のぎりぎりのとこ
ろで吐露されています。


 サー・サイモン・ラトル率いるベルリン・フィルのアジア・ツアーを描いた「ベルリンフィル 最高のハーモニーを求めて」も良かったのですが、上記の作品がすごすぎました。


 久しぶりのロシア映画ニキータ・ミハルコフの「12人の怒れる男」は、チェチェン人の少年の犯罪を取り上げ、まるで舞台を見ているような俳優たちの演技力に圧倒されました。ソビエト崩壊の後、ロシア映画文化のすごさを感じさせる映画が全くなかっただけに、少しづつ、作品が配給されそうなので期待しているところです。


 グルジア映画、テンギズ・アブラゼ監督の「懺悔」は、明日、見に行きます。私は1982年、ブレジネフの時代にグルジアを訪れ、シェンゲラーヤ監督のお宅を訪れました。80年代のグルジアはまだ、民族紛争に巻き込まれずに、トビリシの美しい町並みを満喫しました。今はその面影すらないようです。グルジアの紛争は今後、どのような経過をたどるのか。映画が持つ同時代の強烈なメッセージを、授業の中で考えて行きたいと思います。(この項は続きます)

現場で映画を学ぶこと

 毎年、文化庁支援「映像スタッフ育成事業」に参加しています。一ヶ月から二ヶ月のインターンシップになりますが、これまで参加者は一人も落伍者がないのが、自慢です。仕事が大変なことは毎年、上級生から下級生に伝わっているようで、それなりの覚悟で現場に臨んでいるようです。
 

 去年は6人が参加しました。藤井慎也君は今井和久監督の「ポストマン」、木場真理子さんは本広克行監督の「小林少女」、中村和人君と得能直人君はマキノ雅彦監督の「次郎長三国志」、丸山直人君は林海象監督の「夕陽丘の探偵団」、白川遥圭さんは山下耕一郎監督の「新京都迷宮案内5」で、それぞれ制作、演出、美術などの現場に参加してきました。

 
 その体験談はメディア学部のWebに載っていますから、読んでみてください。大変な仕事ですが、その苦労と充実ぶりが伝わってきます。これまで男子学生が参加して、その後制作プロダクションに就職してましたが、去年から女子学生が参加するようになりました。

 
今年は女子が7名、男子が5名希望しています。撮影現場は最近は、多くの女性が参加しています。撮影、照明、編集、ポストプロダクションも含めて、プロをめざしたい女子学生が増えているのは頼もしい限りです。それも現場では、若者が足りないので、仕事は大変だけれども、スタッフの仕事は確実にあるというのが支えのようです。

 これからインターンシップに参加希望の女子学生は、松竹の「釣りバカ日誌」でエキストラのバイトをやりながら、さまざまな現場を観察していると話してくれました。

インターンシップに出る前に、出来るだけ多くの映画知識を勉強するように指導しています。最近の学生は映画志望でも、不勉強の学生が多いのですが、中にはキネマ旬報映画検定2級を取った学生もいます。(彼は目下、合格が大変難しい1級を目指しています)

この中から、優秀なスタッフやプロデューサーが誕生するかもしれませんね。

新学期 映画史の授業

 新学期が始まりました。その前にフレッシュマンセミナーがあって、メディア学部は幕張で写真撮影しました。その時、後岡先生から「路地をのぞくと面白いよ」という話がありましたが、その時、映画に必ず路地を写していた成瀬巳喜男監督のことを思い出しました。成瀬監督の作品には、はんこをおしたように、生活感のある路地が出てきます。幕張で路地らしきものを探したのですが、あそこはまだ、味のある路地は出来てない?ようですね。面白い路地が出来ると、ようやく街は面白くなるような気がします。
 
 浦安から来た泉沢君の案内で、ゲーセンまで行ったのですが、あまり面白いものは、発見できませんでした。結局、グラフックな絵、おしゃれな写真に面白いものがあった気がします。あまりいい写真は撮れなかったけれど、とても面白い試みでした。

 さて、私の授業。新入生が多い「映画史」は、120名くらいでしょうか。ルミエール兄弟がパリで始めて公開した1895年のシネマトグラフと同じプログラムから入ります。「最初に動く映像に接した人々の気持ちになってください」などと、言ってますが、今年の学生の反応はいいようです。
 
 また北京の伝媒大学の学生が「各国の映画史」を学びたいと、とても意欲的。これからエディソン博物館のスタジオなど、発明狂の夢を追い、アメリカ映画の父、グリフィス、ドイツ表現主義シュールレアリスム映画、日本の活弁による「雄呂血」と、それぞれの時代と国が作り上げた映画を紹介してゆくと、時間がとても足りない。しかもここには、創造のヒントの宝庫みたいなもの。歴史を学ぶと共に、現代映画という視点から見て欲しいですね。

 昔、林海象さんとニューヨーク映画祭に行ったことがあります。その時、彼が持っていった作品は「夢みるように眠りたい」。昭和初期の女優の夢のような世界を無声映画で撮っていた。とてもおしゃれな映画でした。こういう使い方もありだな、と感じた作品でした。

フランス映画祭2008

フランス映画祭2008をのぞいてきました。久しぶりに日仏学院に出かけてカラフルなお手洗いなど、フランス色を味わって来たのですが、フランス映画で育ってきたような世代から見ると、最近のフランス映画は、もの足らないような気がします。


セドリック・クラビッシュという監督を知っていますか?最近は「スパニッシュ・アポートメント」、「ロシアン・ドールズ」など青春群像劇が日本でも公開されてよく、知られていますが、初期の頃は生活感あふれる家族の物語を描いてました。何だか成瀬巳喜男監督みたい、と思ったことがあります。
 
今回はパリを舞台に、病におかされた若者の視点で、パリのけして豊かでない人々の生活をしみじみ描いた「パリ」に魅かれました。ジュリエット・ピノシュら芸達者が、フリーターやNGOでさまざまな問題を抱えながら、毎日を精一杯いきているような庶民を演じています。
 
 どんな時代でも、生活感のある映画は納得できます。特に貧乏から生まれた生活感は豊かな映画を生み出す(もちろん、うまい監督でなければ駄目ですけど) 


最近、そんなことを感じたのは、「チーム・バチスタの栄光」でした。最先端心臓医療の現場で起きた患者の死亡事故を推理するものですが、この医療現場が、ピカピカな病院ではなく、あの竹内結子に汚れたサンダルをはかせ、しかも今、超売れっ子の彼女に、患者の相談係という生活感あふれる窓際族の医師を演じさせていた。こういうセンスを若い監督はもっと学んでもいいのではないでしょうか。

第80回アカデミー賞授賞式

この時期は、国内のさまざまな映画賞、それにアカデミー賞もあってこの時期は見逃した映画を追いかけ、ものすごく忙しいのですが、今年はアカデミー賞は試写会にも行けず、体調を崩したこともあって(胃の調子が良くないんです。やはりお年のせいでしょうか?)、まったく、冴えない年になりました。

 まあ作品賞のコーエン兄弟ノーカントリー」とか、主演男優賞のダニエル・デイ・ルイスの「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、「つぐない」、「フィクサー」は、まもなく公開されますから,見てから授業で取り上げましょうか。
 ノミネートされたものでは、今、女優としてもっとものっているケイト・ブランシェットの「エリザベス・ゴールデンエイジ」とか、「スィニートッド」、「アウェイ・フロム・ハー」などは、しっかり見ています。

 ジョニー・デップは歌がうまく、これは学生たちに人気のティム・バートンが監督していますから、「演劇論」のミュージカルで、登場させましょう。2年前にニューヨークで出演者が全員、楽器を持って自分で演奏しながら歌うスタイリッシュな「スィーニートッド」にも、びっくりしましたが、ティム・バートンも、じつにわかりやすい復讐劇を作り上げました。(もっとも、わかりやすすぎるところが物足らないというところもありますけど)

 でも感心したのはカナダの女性監督サラ・ポリーの「アウェイ・フロム・ハー」です。サラ・ポリーは「映像文化とジェンダー」の中で、スペインの女流監督イザベル・コヘッドの「死ぬまでにしたい10のこと」(同じ監督の「あなたなら言える秘密のこと」などにも主演)で女優として取り上げました。国際女優としてトップスターながら、「アウェイ〜」を監督するために2年を費やし、この作品を完成させたとか。しかもものすごく、演出がうまいのです。今年は以前にも、紹介したスサンネ・ビア、イサベル・コヘッド、あたりと並んでこのサラ・ポリーも授業で紹介します。

 2月は毎日映画コンクールの授賞式にも行って来ました。今年のアニメーション映画賞は原田恵一監督の「河童のクゥと夏休み」。監督がスピーチで「構想に20年かかった。それだけは自慢できます」というようなお話をされてました。アニメーションの授業では毎年、一人の作家に焦点を当てますが、今年は原田監督です。「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」という快作も紹介しますね。 

2007年の映画ベスト・ワン

山形ドキュメンタリー映画祭の後は、東京国際映画祭東京フィルメックス映画祭と、映画祭づいていました。いろいろ見たのですが、今は中国映画が気になっています。(北京電影学院とうちの大学が提携したわけでもないでしょうが)


12月になると、今年の映画賞の季節となり、私のところにも採点表がまわってきます。邦画は周防正行監督の「それでもボクはやってない」、洋画はジャ・ジャンクーの「長江哀歌」(『善き人のためのソナタ」も良い作品でした)をベスト・ワンにしました。                  

 邦画はこのところ評価が上がっていますが、時代と切り結ぶような迫力のある作品は少なく、かなり危機的な状況だと思ってます。プロデ゙ューサーが前面に出てテレビ局の宣伝力だけがクローズアップされる映画状況というのは、監督やシナリオライターなどクリエイターが熱っぽく語られた奥ゆかしい映画の時代から見れば、何をかいわんやでしょう。

もうひとつ気に入っているのは、田壮壮の「呉清源 極みの棋譜」。洗練の極みとも言うべき映像です。河瀬直美さんの「殯の森」の前半の計算しつくした映像美もそうでした。
 
ジャジャンクーも田壮壮監督も、北京電影学院出身です。機会があったら、紀尾井町のホールでぜひとも、お話を伺いたいものだと思っています。

メディア学部の放送を聴きました。アナウンサーをやっていた生方君の声のよさが光ってました。結構、ラジオを聴くほうですが、最近はおしゃべりが下手なアナウンサーが増えてます。うちの学生アナウンサーは、がんばってますよ。それにしても、もっともっとおしゃべりをして、うるさいくらい自己主張してくださいね。(今はソフトでスマートな自己主張なんでしょうけれど、もっともっと、自由におしゃべりしてください)

山形ドキュメンタリー映画祭

murakawahide2007-10-14



山形国際ドキュメンタリー映画祭に行って来ました。私も国内外の映画祭はずいぶん行ってますが、ここは規模といい、雰囲気といい、純粋に映画に向き合える稀有な場所でしょう。昔、大島渚は「映画の共和国」という言い方をしてましたが、まだそうした雰囲気が残っています。しかも市民ボランティアが生き生きと参加している新しいスタイルの映画祭です。
 
 作品応募数が109カ国から1163本。ドキュメンタリーだけで、しかもプロのドキュメンタリー作品がほとんどですから、ここでの受賞はとても価値のあるものです。限られた日数でしたが、コンペテションで見た作品が優秀作品として受賞していたのはラッキーでした。

 ロバート&フランシス・フラハティ賞受賞は、中国の王兵ワン・ビン)監督の「鳳鳴(フォンミン)−中国の記憶」です。右派というレッテルで、1950年代の政治闘争で粛清され迫害を受けた女性の一生が、彼女の語りだけで綴られてゆくという壮大な叙事詩でした。183分、カメラほとんどすえっぱなし。彼女の部屋で語りだけなのに、どんどん引き込まれてゆく素晴らしいものでした。
 
 王兵監督は「鉄西区」でも受賞している実力派です。北京電影学院出身です。電影学院はうちの大学とも関係があり、ぜひ、うちの大学にも来ていただいてお話を伺いたいものだと思いました。それにしても今の中国はドキュメンタリーが面白いですね。2005年に山形で上映された「水没の前に」とか、ジャ・ジャンクーの「長江哀歌」(これはドキュメンタリーではないけれど)              
 今年も三峡ダムを撮った女性監督フォン・イェンさんの『稟愛」が小川紳介賞を受賞しました。私が1995年に四川省で開かれた中国映像祭の審査員をやっていた頃は、中国ドキュメンタリーは雲南少数民族のドキュメンタリーくらいしか見ることは出来なかった。中国のドキュメンタリストたちが、これからどのような作品を見せてくれるのか、非常に興味あるところです。
 
今年の企画ものでは『交差する過去と現在ードイツの場合」が戦争の記憶と記録、東西ドイツ戦後史再考、東ドイツの痕跡の三つをテーマに若い世代のドキュメンタリストの作品も含めて、戦争体験をどのように受容してゆくかという切実な問題を提起してました。 

 今年は『阿賀に生きる」の佐藤真さんが亡くなったり悲しい事件がありましたが、小川紳介さんに関しては、少し嬉しい話を聞きました。この映画祭が始まった時、山形に国際批評家連盟賞を出してもらうように、国際映画連盟にお願いしたことがあります。当時はカンヌやヴェネチアで国際批評家連盟の審査員をしていたので、橋渡しが出来ました。小川さんはこれで山形も国際的に認めてもらえると大喜びだったとか。少しは山形のために役立ったかな?
 
 ここに来ると世界中のさまざまな問題に直面せざるえないのですが、優れた映像作家は映像ジャーナリストであり、現代の戦士のようにも感じます。久しぶりに映画ジャーナリストに戻って、一日5本くらい見てました。
(なお、写真は王兵さんのものです。不鮮明で申し訳ありません)