イングマール・ベルイマン

 私の授業では、イングマール・ベルイマンにようやく焦点を当てることが出来るようになりました。これまでですと知って欲しい監督を、何はともあれ理解させる?という豪腕でやってきましたが、最近の学生は知的スノッブというか、わからなくても背伸びをして、知ったかぶりをする層が非常に少なくなって、訳知りで薀蓄を傾ける若者や、早熟な高校生レベルがいなくなっているような気がします。映画文化を支える若手軍団が育たないなんて、由々しき大問題ですが。
 たまたま、ベルイマンが85歳に撮った「「サラバンド」が公開されました。現在のベルイマンは88歳ですが、孤高の北欧の風景の中で展開される、大声で罵りあうけたたましいまでの親子喧嘩やら、老境に入って、かっての愛人との関係とか、全く枯れることのない激しさで映画作りをするベルイマンに腰を抜かさんばかりに驚いてしまいました。
 ベルイマンの映画監督としての仕事は「ファニーとアレクサンデル」(82年)が最後で、その後三島由紀夫の「サド公爵夫人」を演出した舞台を東京で見ていますが、典雅でかつエロチックで、演劇人ベルイマンの真価を目の当たりしたものです。ベルイマンも東京に来てたわけだから、会っておけばよかったとつくづく思います。
 ともあれ、私たちの時代は、ベルイマンは、宗教的なテーマや難解さもあって、孤高の神様みたいな存在でした。しかし、こちらも年を食ってくると、謹厳で近寄りがたかったベルイマンも、主演女優とほとんど出来ちゃって、5度も結婚し8人も子供がいるという生身の人間味の方に興味がわいてきます。
 学生たちには「仮面/ペルソナ」や「鏡の中にある如く」ではなく、「野いちご」、「秋のソナタ」あたりから始めますが、あらためてベルイマンはおしゃべりで、家族のすったもんだ、夫と妻、それぞれの愛人、娘と母親の関係が饒舌に語られています。この辺の問題は、人間が存在する限り、いわば永遠のテーマですから、ベルイマンはけして古くならないと学生たちと共に再確認しました。難解な宗教的なテーマよりも、家庭問題に悩むベルイマンから入っていった方が、今の学生たちには通じるようです。
 さて「サラバンド」ですが、リブ・ウルマン演じるマリアンが30年前に離婚したかっての夫、ヨハン(エルランド・ヨセフソン)を訪ねるところから始まります。二人の間には精神を病む娘とオーストリアに移住した二人の娘がいたのですが、長い間、二人は会っていなかった。弧絶した様な風景の美しい別荘で、かっての夫婦は穏やかな時間を持ったかのように見えますが、マリアンは、ヨハンと息子ヘンリックの争いに巻き込まれます。音楽家を目指す孫のカーリンをめぐって、すざましい親子喧嘩。ここではバッハの無伴奏チェロ曲やオルガンのためのトリオ・ソナタが壮重に流れます。ヘンリックに反発するカーリン。絶望から自殺未遂するヘンリック。ヘンリックへの憎悪を剥き出しにするヨハン。ヨハンはマリアンに救いを求めます。それにしてもベルイマンのこの激しさは、どこから来るのでしょうか。家庭問題の悩みといっても、ここまでくれば、神々の壮絶な世界のような気もするのですが。
 ところで他に「映像文化とジェンダー」という授業を持っています。「女たちの世界はわたしの世界だ」と言ってきたベルイマンを、女性監督の描いた女の世界と、いつか比べて見たいと思ってます。